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黒柳徹子小学校退学なぜ?トットちゃんとトモエ学園校長先生の出会いやエピソードをご紹介!

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黒柳徹子さんは現在90歳(2023年12月時点)になられます。

芸能界のレジェンドとして数々の功績のある黒柳徹子さんが、なぜ義務教育の小学校退学されているのでしょうか?

黒柳徹子さんことトットちゃんは、小学校退学後にトモエ学園に転校されます。

トモエ学園校長先生はどんな方で、トットちゃんにどのように接していかれたのでしょうか?

トモエ学園校長先生との出会いやエピソードが気になります。

今回は黒柳徹子さんの小学校退学理由と、トモエ学園校長先生との出会いやエピソードをご紹介します。

 

黒柳徹子小学校退学なぜ?


黒柳さんは、1933年8月9日生まれで90歳になられます。

とても90歳とは思えないくらいお若いですよね。

実は84年前の6歳の時に地元の通っていた尋常(現:公立)小学校を退学されていると明かしてみえます。

好奇心旺盛の問題児だったことが原因のようなんです。

しかも入学してわずか3か月の間に退学させられてしまったようなんです。

小学校にチンドン屋さんを呼び込んだり、おもしろがって机のフタを(昔の学校の机は上に開いたから)授業中に百回ぐらい開けたり閉めたりしていたそう。

つばめが巣を作って、行ったり来たりしているのを見て、授業中に窓から身を乗り出して「何してるの」「何してるの」と何度もつばめに聞いたりもした。

それでお母さまが先生に呼び出されてしまったそうなんです。

 

退学理由は20歳になるまで知らなかった

黒柳さん自身は、小学校を退学になったということを、20歳になるまで知らされていなかったんです。

驚きの事実だったでしょうね。

お母さまが20歳になった黒柳さんに明かしたというのもタイミングを見計らっていたのでしょうかね。

後になって事実を聞いた黒柳さんですが、もしも1年生の時に事実を聞いていたらこんなにものびのびと生きてこられなかったと振り返っています。

母親がのびのびと育ててくれたことや、ひとりの人として人格を尊重してくれたことに非常に感謝をしてみえます。

本当に素晴らしいお母さまですね。

黒柳さんのご兄弟や家族も皆さん素晴らしい方ばかりなんです。

 

家族全員がアーティスト

黒柳さんご自身は小学校を3か月で退学し、その後はトモエ学園に入学後、香蘭女学校、そして東京音楽大学声楽科卒業後、NHK放送劇団 文学座を経て女優デビューされています。

今では司会をされているイメージが強く、音楽大学で声楽を学んで見えたことは知りませんでした。

黒柳さんの歌声を聞いてみたいものです。

お父様はヴァイオリニストの黒柳守綱さん。

今のNHK交響楽団と東京交響楽団のコンサートマスターを歴任されています。

お母さまは声楽家でもあり、エッセイストでもある黒柳朝(くろやなぎ ちょう)さん。

すぐ下の弟さんは高いされていますが、その下の弟さんはヴァイオリニストの黒柳紀明さんです。

妹さんはバレリーナでエッセイストの黒柳眞理さん。

ご家族皆さんがエリートな方々ですね。

 

自伝「窓ぎわのトットちゃん」とは

黒柳徹子さんの自伝の書「窓ぎわのトットちゃん」は発刊依頼、40年以上も世界中で読ま続けている本でタイトルは知らない人はいないくらいです。

黒柳徹子さんは当時まだ舌足らずで「てつこ」を「トット」と発音していたことや、「ちゃん」も自分の名前と思い込んでいたそうなんです。

窓ぎわ族は「リストラ予備軍」と「退学予備軍」をかけて表現されているようです。

他に、いつもトットちゃんは窓際に立っていいたからというのもあるようです。

どうやらその理由は、チンドン屋を教室に呼び込むためなんですが、タイトルからしてひきつけますね!

 

発達障害だったことを公表

後に、ご自身を発達障害と公表されています。

生まれつきの脳の障害のために言葉の発達が遅い、対人関係をうまく築くことができない、特定分野の勉学が極端に苦手、落ち着きがなくじっとしていられないこだわりが強過ぎたり、集中したり、集団生活が苦手といった症状や様々な特性があります。

黒柳さんは「読書障害」や「計算障害」の症状が強かったそうです。

でも司会者として立派にやり遂げられ、ボキャブラリーも豊富ですよね。

 

ユニセフ親善大使

好奇心旺盛で行動力もあって、徹子の部屋では退却者へのインタビューも素晴らしいですよね。

過去にはその好奇心旺盛が故に「クラス中の迷惑になる」と問題児扱いされていました。

でも、ユニセフ親善大使をされているんです!

社会貢献への意欲があるのは、世代的にも自身の戦争体験がルーツとも言われていますが、それにしても誰もができることじゃありませんよね、素晴らしい!

戦争や貧困など社会問題への関心が強いだけでは行動できません。

発達障害を公表し、大成されている黒柳徹子さんを見ていると勇気や希望がもらえますね。

 

黒柳徹子ことトットちゃんとトモエ学園校長先生の出会い


黒柳徹子さんとトモエ学園の出会いは運命的と言えますね。

少人数授業であったり、自分の好きな教科から勉強できるなどかなりフリーで毎日が楽しい日々だったんでしょうね。

そんなのびのびした学校、個性を引き出してくれる教育環境って素晴らしいです。

当時のトモエ学園の校長先生の小林宗作先生に出会え人生が変わります。

 

「何でも話してごらん」

最初に学校に行った日に「何でも話してごらん」と言われて、学校に着いた朝8時ごろから12時ごろまでの4時間にわたって、お話を聞いてくれたのだそう。

前の学校のことや、飼っている犬のこと、家族のことや着ていた洋服の襟の話などのお話をしたそうです。

話を全てして、校長先生に「もうない」と言ったら、「じゃあ、みんなと弁当を食べに行こう」と校長先生は言われたそうです。

ひとりの生徒に4時間かけてお話を聞いてくださる、しかも途中で話をきらないなんて尊敬です。

指導者、教育者とは何かを考えさせていただいた思いがします。

 

「君はここの生徒だよ」

出会った初日に4時間立て続けに話をして「君はここの生徒だよ」と言われて、もうこれ以上話すことはないと思えて話を終えることもできたといわれています。

きっと今まで自分をわかってくれる先生がいなくって、その思いが溢れ出たんじゃないでしょうかね。

素晴らしい方と出会われましたね!

戦後最大のベストセラーとなった、黒柳さんの著書「窓ぎわのトットちゃん」は、この「トモエ学園」の校長先生に捧げられたものと言われています。

 

トットちゃんとトモエ学園校長先生とのエピソード

トモエ学園に行ってからもいろんな個性的な行動やハプニングあったようです。

そんなトットちゃんに対して、校長の小林宗作先生は折に触れかけてくれた言葉があります。

 

「君は、“本当は”いい子なんだよ」

悪い子のレッテル貼りせず、個性を認めてくれていた小林先生への感謝の思いでいっぱいだと。

“問題行動”と思われるような事もその子の個性だと人格を肯定する教育者なんですね。

「本当は悪くなくて、いいところがある」と小林先生は言っていたんですね。

それも毎日「いい子だ」って言ってくださるなんて、ほんとにすばらしい個性を伸ばしてくださる先生ですね!

黒柳徹子さんも、「はい、いい子です!」と答えていのたそうです。

かわいいです(^^)/

校長先生の言葉は、黒柳さんをいつも元気づけてくれていたのがわかります。

 

まとめ

黒柳徹子さんの小学校退学なぜなのか、トットちゃんとトモエ学園校長先生の出会いやエピソードをご紹介してきました。

個性的で逸脱的な黒柳徹子さんの幼い日の出来から、尋常小学校を3か月余りで退学することになった事実がわかりました。

しかし、トットちゃんは思いがけずトモエ学園校長先生の出会いで大きく運命を変える一期一会ともいえる出会いをされました。

そのエピソードは小林先生の人格を思わせる素晴らしいエピソードで胸が熱くなります。

黒柳徹子さん、これからもますますお元気でご活躍されることを応援していきたいと思います。

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