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張本智和(卓球)の両親は中国人?日本に帰化した理由なぜ?

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卓球で「チョレイ!」の雄たけびが有名な張本智和選手。

東京オリンピック男子卓球界の期待の星です。

張本智和選手は日本代表ですが、両親は中国人なのでしょうか?

中国人のご両親が日本に帰化した理由には訳がありそうです。

ご両親の経歴や、日本に帰化した理由はなぜかをご紹介します。

 

張本智和(卓球)の両親は中国人

張本智和選手の両親は中国の四川省出身です。

おふたりとも中国人なんです。

 

張本智和の両親は中国人の卓球選手だった

お父様の名前は張宇(チャン・ユ)さん、お母様の名前は張凌(チャン・リン)さんと言います。

実はご両親とも中国のプロ卓球選手だったんです。

プロとして活躍されており、1990年代に日本に移住しています。

なので張本選手も元々は張智和、妹さんは張美和という名前。

父親は現在では男子ジュニア日本代表コーチをされています。

張本選手は2003年6月27日に日本で生まれ育ち、現在20歳(2003年12月時点)。

張本選手が生まれる約30年前、1972年に日本と中国との関係が大きく変わる歴史上の大きな出来事がありました。

日本の当時の首相の田中角栄氏と中国の周恩来首相とで,共同声明に署名し「恒久的な平和友好関係を確立する」という日中国交正常化が交わされたんです。

 

張本智和選手プロフィール

張本選手について簡単にプロフィールをご紹介しますね。

SNSではハリーとファンの間では呼ばれています。

身長176cm、体重77kg、靴のサイズ28センチです。

血液型はO型でご存じの通り利き手は右利き。

出身地は宮城県仙台市で、出身校は日本大学高等学校から早稲田大学人間科学部在学中です。

卓球の所属は木下マイスター東京でITTF世界ランクは現在11位です。

よく聞く曲はスピッツの『チェリー』、セカンドアルバム『名前をつけてやる』の『魔女旅に出る』はスピッツ屈指の名曲だとも推してます。

ハリーって呼び名かっこいい!

しっくりきますね♡

そんなハリーの卓球開始はなんと2歳というではありませんか!?

オムツが外れたかどうかの年頃にどうやって卓球を始めたんでしょうかね。

可愛らしかったでしょうね。

 

張本智和選手は勉強の成績も優秀

そんな幼き頃に卓球を始めたのにもかかわらず、ご両親は卓球の厳しさをわかっていたのでプロとして卓球をやらせることは考えていなかったようなんです。

むしろプロとしてはやらせたくなかったと考えていたほどでした。

そのため3歳のころから英会話教室に通い、小学校時代は学習塾へ行かせていました。

ラケットよりもペンを握らせていたんですね。

しかも、よっぽど彼に卓球をさせたくなかったんでしょうか、中学に入るまでは1日2時間以上の練習をさせなかったそうなんです。

そのことが、かえって集中力を養っていたのかもしれないですね。

でも卓球に早く取り掛かり、少しでも長くプレーができるようなりたいと思っていた張本選手は、宿題を終わらせるために集中して勉強していたというではありませんか。

その結果、学業の方は優秀で、なんと小学校全国共通テストでは国語と算数で計4回、全国1位になったというエピソードもあるんです!

全国1位なんてすごいです!!

地頭もよいと思うのですが、半端じゃない集中力の持ち主と言えますね(^^)/

 

卓球は圧倒的強さで優勝しまくり

2018年15歳の時、卓球グランドファイナル優勝していますが、15歳というのは史上最年少記録の優勝といえます。

さかのぼれば、小学1年の時も「バンビの部」に出場して、圧倒的な強さで優勝しています。

その後、一度も連勝しつづけて大会6連覇し、男子では史上初の快挙といえる成績をおさめました。

 

張本智和(卓球)の両親が日本に帰化した理由なぜ?


母親は張本選手に練習時間を2時間以内と制限していたにもかかわらず、次々と彼が卓球で優秀な成績をとってくるのでうれしさに入り混じって複雑な心境だったことでしょう。

両親が卓球のプロ選手ですのでサラブレッドと言えますが、本当に卓球を愛していたんでしょうね。

「チョレイ!」の雄たけびには、卓球以外何も見えていない、卓球愛がみなぎっていますよね♡

そんなさなか、張本選手が小学4年生の時に、全日本選手権で「一般の部」に出場するには日本国籍が必要となりました。

ご両親はいずれ、中国に戻ってコーチになろうと考えていたので、とても複雑な心境だったそうです。

でも、息子である張本選手の思いを尊重することに決意しました。

そして2014年、彼が10歳の時に日本卓球界の推薦も受けて張本一家は4人とも日本国籍を取得に至りました。

彼の方も2016年にはJOCエリートアカデミーに入校します。

同年には18歳以下で争う世界ジュニア卓球選手権で、13歳で最年少優勝。

2018年には、水谷隼の記録を上回る14歳205日の最年少で全日本選手権初優勝を果たし、男子シングルスの国内チャンピオンとなりました。

日本卓球史上男子最年少でオリンピックの出場権を獲得しおり、2020年の東京オリンピックでは男子団体で銅メダルも獲得しています。

文武両道とは言いますが、学業もスポーツも並外れていてすごすぎます!

 

日本帰化への複雑な思い

実は張本選手、日本帰化に対しての複雑な思いがありました。

やはり最初は少し辛かったそうなんです。

幼い頃から卓球界をざわつかせていたいた彼ですので、知名度もありました。

15、16歳の頃にはネット上のコメントに傷つく瞬間もあったっと言っています。

でも試合に負けるよりはマシと思い返して、意識を卓球にだけに向けたと。

さすがですね。

「たとえ、日本人であったとしてもなんらかは言われるでしょうし、トップ選手にはよくあることだし、今では嫌であるとは思わなくなった」

気分や感情きちんと認知して行動に移すのは、世界をまたにかけるプロスポーツ選手の精神です。

「自分と直接会って、嫌がらせを言ってきたりしてきた人は本当に一回もないです。今まで出会った選手やスタッフの全て嫌だなんて思ったことはない。まあ、裏ではわからないですけどね(笑)」

と茶目っ気を交えて答えてくれた。

さらに日本の好きなところを訪ねると

「みんな優しくて温かく接してくれる。自分の親が中国人だと全然感じないくらい自然体に生活してきた。本当に温かい国だと思います」

オリンピックの目的はスポーツの祭典で、スポーツを通して人間育成や世界平和を目的にされています。

まさしく彼もスポーツマンシップそのもので、平和の使者と言えますね♡

 

 

まとめ

張本智和(卓球)の両親は中国人?日本に帰化した理由なぜ?と題してご紹介してきました

張本智和選手のご両親は中国人でプロの卓球選手でしたが、張本選手の思いを尊重して日本に家族4人で帰化しました。

祖国中国から日本に帰化した理由を知ると胸が熱くなります。

そんな愛ある張本一家のこれからの活躍と、そして張本選手のますますの活躍を応援していきたいと思います。

 

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